溶接工とプロダクトデザイナーの出会いから生まれた「溶接茶筒」 ——大田区オリジナルなコラボレーションを目指して

2020.03.31 / REPORT

梅森プラットフォームにあるインキュベーションオフィス「KOCA」。そこで出会った溶接工とプロダクトデザイナーによって、新しいプロダクト製作の動きが芽生えている。溶接工ーー波田野哲二さんは、大田区下丸子の町工場の2代目で、町工場で働く傍らKOCAに席を借りて異分野とのコラボレーションを模索していた。プロダクトデザイナーーー畑中庸一郎さんと川名八千世さんの2人のユニット「YOCHIYA」は、大田区に地縁はなかったが、ものづくりのできるオフィスを探していてKOCAへ辿り着いた。この2組の出会いから生まれつつある「溶接茶筒」なるプロダクトは一体どのようなものなのか。そのプロセスを2組に伺った。

左から波田野氏、畑中氏、川名氏

KOCAでの出会い

畑中 僕らはもともと、ロンドンのセントラルセントマーチンズ大学の同級生でした。同じプロダクトデザイン科に在籍していて、いつかデザイナーとして働くときは一緒にやりたいね、と言って「YOCHIYA」というユニットをつくったんです。卒業して日本に戻ってからは、別の会社で働いていて、KOCAができるタイミングで、改めてデザインスタジオ「YOCHIYA」を本格的に始動することになりました。

川名 過去に1度、セントマーチンズの同級生に誘われYOCHIYAとしてDESIGNTIDEに出展したことがありますが、正式にYOCHIYAとして活動を開始したのは2019年4月からです。手でものをつくることに興味があったので、工房のあるKOCAにオープンと同時に入居しました。

畑中 YOCHIYAのコンセプトは「マテリアル以上、プロダクト未満」と言っています。その曖昧な領域に興味があり、作品づくりを通してそれを模索しています。

波田野 私は1986年、大田区馬込生まれ、馬込育ちの溶接工です。実家が溶接の町工場で、工業高校卒業後、社会経験を積んでから、下丸子にある実家の町工場で働くようになりました。実家に戻って働くまでは、中学生のときに家業の手伝いとして仮止め(溶接前に部材の一部を溶接する作業)をしていたくらいでした。正式に工場で勤め始めてからはおよそ3年かけて溶接の技術を習得していって、この仕事を始めて今年でちょうど10年になります。
 うちの工場でやっている溶接は、TIG(タングステン・イナート・ガス/ティグ)溶接というものです。建設現場などで一般的に使われる被覆アーク溶接などよりも、精密かつ美しい溶接痕(ビード)ができるのが特徴です。

TIG溶接は不均一な盛り上がりがなく溶接痕がきれいにできる

畑中 波田野さんと僕らが最初に出会ったのは、KOCAのオープニングのときでしたよね。

波田野 ええ、そうでした。私は以前からおおたオープンファクトリー(大田観光協会の主催する工場見学イベント)を通して@カマタや建設中のKOCAのことは知っていました。町工場の活性化にはこうした場所でのつながりが活かせるんじゃないかと考え、KOCAができたら絶対に席を借りようと思っていました。そしてオープン初日の4月1日に契約へ行ったら、2階の個室に入るYOCHIYAさんをその場で紹介してもらったんです。

畑中 そのときにすぐ「一緒に何かやりましょう」という話になったんですよね。そのきっかけになったのが、波田野さんも持っていたコレでした。

波田野さんが製作して持ち歩いていた溶接のサンプル

波田野 コレですね(笑)。コレは自分の仕事・技術をアピールするためにつくり、その頃常に持ち歩いていたものです。ステンレスの端材を溶接して四角形にしたものです。単純なものに見えますが、密閉するように溶接すると、最後に中の空気が吹き出してきてきれいに溶接ができないんです。普通は空気を抜く穴を開けてしまうのですが、穴を開けずにきれいに溶接したのがコレです。

畑中 僕らはコレを見て、第一印象ですごくきれいだなと思ったんですよね。

川名 溶接の際にできる焼けの色がすごくきれいで可能性を感じました。普段私たちが目にしないものへの驚きもありましたね。

畑中 本来ならこの焼けは出荷前にディスクグラインダーで消してしまうということを波田野さんから聞き、こんなに綺麗なものを消してしまうなんて勿体ないって思ったんです。この溶接痕をあえて隠さず生かし、ブランドにできないかと考えました。

波田野 私自身も色の面白さは感じていて、まだコントロールはしきれないけど、活かせないだろうかと思っていました。それをYOCHIYAさんは面白がってくれた。

川名 コレを見たとき、私は陶芸の釉薬のようだなって思いました。きれいな接合部ではあるんだけど、手仕事の微妙なゆらぎや、電流や母材の条件による人の制御しきれない化学的で自然なゆらぎがある。

波田野 最初からお互いに何かすることを探っていましたよね。その場で打ち合わせの約束をして、初回の打ち合わせに行ったらYOCHIYAさんがプレゼンシートをつくってくれていました。

畑中 そうでした(笑)。これは面白いから実作につなげたいと思い、波田野さん、(波田野さんの働く)共栄溶接さん、大田区の町工場事情などを自分たちでリサーチして、プレゼンシートをつくりました。仲間回し(各工場でできる作業を連携して行い、ひとつの製品をつくること)が大田区の町工場の特徴ではあるのですが、今回はあえて波田野さんの工場だけで完結するものをつくることを提案しました。そうすることで、波田野さんの溶接技術をよりダイレクトに見せられるのではないかと思ったのです。

鋼管からつくる「溶接茶筒」

畑中 波田野さんの工場だけでつくることから出発し、工場にどんな材料があるかをまず聞きましたね。

波田野 ええ、よく使う規格材にはフラットバーと鋼管があって、それぞれの規格は何mmだ、何φだということをお伝えしました。

川名 それと同時に、私たちは最初に波田野さんのサンプルを見たときに感じたイメージから、和のプロダクトをつくりたいと思い、どんなものがいいか考えていました。

畑中 大田区は羽田空港もありますし、インバウンドが増えている状況を踏まえても、和のプロダクトがいいだろうと考えていました。それでまずは規格材を使った柄杓やお皿などの図面を描き、試作品をつくってもらいました。何度かこうした試作品をつくってもらううちに、僕らも鋼材や溶接の特徴を段々と理解していくことができ、段々とつくるべきものが見えてきました。

波田野 図面を描いてもらい、それをつくるだけではただの下請けになってしまいます。それが今回は、お二人が「対等な立場でやっていきましょう」と言ってくれたこともあって、頂いた図面通りのものをつくりつつ、溶接工視点の提案もたくさんできました。最初にそう言ってもらえたのがすごく嬉しかったのを覚えています。

YOCHIYAさんが初期に作成した図面

図面を元に作成した初期の試作品

波田野さんの製作したサンプルの数々

畑中 僕らにとってもすごく楽しくて、想像を超えるフィードバックをもらうことで、毎回発見がありました。月に1回ほどの打ち合わせは毎回大盛り上がりでしたよね(笑)。学びと発見のサイクルがそこには生まれていました。作業としてはかなり枝分かれして、試作・検証の山になったのですが、それも素早くつくってくれてとてもやりやすかったです。

川名 そうしたなかで、丸いパイプの溶接痕がすごくきれいだなと思ったんですよね。それに、フラットバーよりも鋼管を使ったほうが規格材から出来ていることがよりわかりやすい。それで円筒形の和の道具を調べていって、「茶筒」をつくることに決めました。
 ちなみに金属の茶筒自体はすでにたくさんありますが、大体がシートメタルを丸めたり、押出成形でつくられていて、溶接の茶筒はまだないんですよね。波田野さんにも「溶接の茶筒ってないですよね?!」と何度も確認して(笑)、あえて溶接でつくるという新しい試みをしてみたいと思ったんです。魅せる溶接という試みをするのも(たぶん)波田野さんが日本で初めて。

波田野 そうだといいな(笑)。
 私にとっても、YOCHIYAさんから投げられてくる試作でたくさんの学びがありました。今まで焼き色に可能性を感じていても、実際にコントロールするところまではいっていませんでした。それがYOCHIYAさんからいろいろ提案を受けるなかで、見せる溶接の技術をいろいろ培うことができた。たとえば、焼色の面積を変えられないかと聞かれていろいろ試行錯誤し、最終的には接合部でない面に溶接機を当てわざと溶接痕をつくるところまでいきました(笑)。普段の仕事では絶対にしないことを「いい!」「面白い!」と言ってもらえて、今までにはない技術が拓かれていったと感じています。

畑中 面白いのが、3人で製作を続けていくうちに、だんだんと3人だけの共通言語が生まれてくるんですよね。

川名 そうそう。たとえば、焼けにもぱきっとした焼けと、ホワッとした焼けがあるような気がして。打ち合わせでは、「ここはもっとホワッとさせてください!」とか話しています(笑)。私たち以外は誰もわからないであろう言葉と共通意識を生み出しながら、製作が進んでいくのが面白いですよね。

試作した溶接茶筒

メイド・イン・梅森を世界へ

畑中 今は4月末頃の販売開始に向けて、最後の準備をしています。私たちはロゴやパッケージをデザインしていて、波田野さんには最後の微調整をしてもらっています。

波田野 最終段階で、旋盤で削る工程・コストを減らすため、畑中さんから、外径はそのままで内径の少し大きい鋼管を蓋に使う提案をもらいました。それはうまくいったのですが、蓋の厚みが少し薄くなったことで熱伝導率などが変わり、焼けの出方も変わってしまって。今は最後の調整に、電流や回転数を細かく変えて、一番いい焼けができる方法を調べています。

川名 試作したものも含めどれも魅力的で、なかなかひとつに絞るのが難しかったのですが、ブランディングを考えて最初は「これ!」というひとつを選んで発表したいと思っています。これが私たちのつくった茶筒だというのを、アイコン的に認知してもらいたい。

波田野 町工場の強みは「少量多品種」なんです。なので、今後バリエーションを増やしていくこともあるかもしれないですが、まずはお二人が考えてくれたブランディングに乗って、「これ!」というものをひとつつくろうと。

最終形に近い溶接茶筒

畑中 溶接を表現として楽しむって、いわば数寄者のような嗜好だと思っています。この前、海外の方がいらしたときにこの溶接茶筒を見て「和を感じる」と言われたんですよね。僕らとしては狙っていたことが、説明なく伝わったことがすごく嬉しかった。このプロダクトを通して、溶接を愉しんでくれる人が増えるといいなと思っています。

川名 私は波田野さんのような町工場の職人さんが、伝統工芸の職人のように見えるんですよね。彼らのつくったものには手仕事の痕跡が残っているんです。普通の工業製品ではそれをゼロにしようとするのですが、逆にそれに価値を見出して、多くの人に求められるようになってほしい。この溶接茶筒はその最初の一歩になればいいなと思っています。

畑中 そういえば波田野さんはそろそろ独立されるんですよね。

波田野 はい、今年の夏頃に独立する予定です。独立したら、これまで通り工業製品の溶接工と並行して、YOCHIYAさんのような別分野の方と協同していきたいなと思っています。別の視点から技術を再評価してもらうことで、大田区の町工場の新しい可能性を拓いていきたい。また、私意外にも面白いことをしたいと考えている若手技術者がたくさんいるので、YOCHIYAさんにはそういった人たちともコラボレーションしていってほしいです。

畑中 そうですね、僕らもぜひ別の職人さんとも仕事をしてみたいです。同世代で協働できたこともとても楽しくて、一緒にお酒を呑みに行ってさまざま話せたのもよかったです。

波田野 かしこまった打ち合わせも必要ですが、雑談からのアイデアのほうが面白いと思っているので。そういうインフォーマルな場も大事ですね(笑)。

聞き手=連勇太朗(@カマタ)、山道雄太/構成・写真=山道雄太

プロフィール
波田野哲二(溶接技術者、共栄溶接)
1986年大田区馬込生まれ。工業高校卒業後に一般企業で5年勤め、2010年より家業である(有)共栄溶接へ入社。溶接工としての技術を磨きながら、おおたオープンファクトリーをはじめとした大田観光協会の各種イベントに協力。2019年KOCAメンバーとなる。町工場の若手職人を集めたコミュニティをつくり、自身が主催する「#町工場LT」で要素技術の魅力を伝える活動を行っている。

畑中庸一郎(プロダクトデザイナー、YOCHIYA共同代表)
1988年生まれ。2010年セントラルセントマーチン・アートアンドデザインBAプロダクトデザイン卒業。2012年に川名八千世とともに「YOCHIYA」を共同設立。2012年秋にDESIGNTIDE TOKYOへ出展。2019年よりKOCAを拠点に、YOCHIYAを本格始動。「マテリアル以上、プロダクト未満」をコンセプトに、曖昧な領域を作品化することに取り組んでいる

川名八千世(プロダクトデザイナー、YOCHIYA共同代表)
1983年生まれ。2007年武蔵野美術大学芸術文化学科卒業。2010年セントラルセントマーチン・アートアンドデザインBAプロダクトデザイン卒業。2012年に畑中庸一郎とともに「YOCHIYA」を共同設立。2012年秋にDESIGNTIDE TOKYOへ出展。2019年よりKOCAを拠点に、YOCHIYAを本格始動。「マテリアル以上、プロダクト未満」をコンセプトに、曖昧な領域を作品化することに取り組んでいる