工場紹介②:クリエイターと町工場をつなぐものづくりのプロデューサー ——株式会社エヌアンドエヌ

2020.03.31 / REPORT

曽根雅人氏

工場を持たないものづくり

エヌアンドエヌは、「工場を持たないものづくり」をコンセプトにする製造業の会社である。顧客のニーズに対して、大田区を中心にたくさんある町工場から製造できる工場を探しマッチングさせ、ものの提供を行う。いわばものづくりにおける「プロデューサー」の役割を担う企業だと言えるだろう。

1990年に先代の永瀬明男氏が会社を立ち上げた当時は、光学機器メーカー「Nikon」の仕事が9割以上を占め、社員もNIKON出身の手に職を持つ技術者が多かった。当時から「工場を持たない」ことをコンセプトとし、町工場と協力しながらものづくりに取り組んできたが、第一級企業の知見を持った技術者が、町工場にその技術を伝達していくことで、地域の町工場も共に成長することを目指してきたという。

設計から製作までに携わる

代表取締役社長である曽根雅人氏が入社したのは2000年。文系出身で技術を持たない曽根氏にとっては、右も左も分からない忙しい日々だった。しかしちょうど半導体事業が伸びてきた時期で、新規分野であるがゆえに設計者が足りていなかった。

「当時は私も四苦八苦しながら図面を書いていました。今思うと拙い図面でしたが、徐々に専門とする設計者の方とも出会い、手伝ってもらいながら、設計から製作に携わるものづくりを学びました」と曽根氏は言う。

それまでのエヌアンドエヌは、顧客が設計した図面をもらい、協力してくれる町工場にものをつくってもらい、品質保証をして、顧客にものを提供するという事業形態を主としていた。しかし段々と、設計から製作に携わるものづくりの楽しさを知ってから、事業の幅が広がってきたそうだ。

一方で、設計までに携わるということは、顧客のものづくりに対する提案力やコンサルティング能力が必要となる。曽根氏は、それまで町工場との連携を通して部品をつくってきた経験がバックボーンとなり、新しいものづくりの提案力となっていると語る。

エヌアンドエヌ梅屋敷工場の様子

見えない技術を発信する場

曽根氏は、2015年に代表取締役社長に就任。社内の技術者と、顧客や協働する町工場と共に、今までつくったことがないものづくりに取り組み続けたいと意気込みを語る。そのためには社内の意識改革も必要だ。

自社でものとして提供するのは、半導体業界の露光装置の部品、液晶テレビや液晶画面をつくる装置のユニットや部品であり、残念ながら、商品となった時には装置の一部になり、一般の人の目に見えない。しかし対外的に自分たちがつくるものを発信していくことは、新しいものづくりへの挑戦にもつながる。

そこで曽根氏は、大田区産業振興協会とも連携を保ちながら、展示会や商談会に参加し、多くの人に自社の技術を知ってもらうことに取り組んでいるという。そんな対外的な発信の場をつくるため、エヌアンドエヌは梅森プラットフォームへの入居を決めた。

「蒲田にある町工場は知れば知るほど、面白い技術者がいます。しかしそれぞれが要素技術であるため、つくれる範囲が限られてしまう。またここに入居するクリエイターやデザイナーは「こういうものがつくりたい」という新しいアイデアを与えてくれます。私たちの役割は、その人たちをつなぎ、新しいコラボレーションを生み出すことです。」と、曽根氏は語る。

エヌアンドエヌの強みは、工場を持たないからこそ、つくれるものが限られないこと。仮に足りない技術があれば、その都度、それができる工場を探し出しているという。ものをつくりたいという入居者の思いと町工場の技術力の橋渡し役となるエヌアンドエヌを通して、梅森プラットフォームから新しいプロダクトが生まれてくることに期待したい。

[文=丸山麻美]